mooncatの図書館

本が好きです。図書館に住みたい。読んだ本の感想文を書いています。

かがみの孤城 辻村深月 レビュー ネタバレあり

 

学校に行く必要はあるのだろうか。

 

勉強をするため?それならオンラインでもいいんじゃない?友達を作るため、仲間を作るため?社会生活を育むため?もっともらしい“学校に行く理由”はたくさん出てくる。

 

でももし学校という社会にうまく馴染めなかったら?友達ができなかったら?いじめに遭ってしまったら?心を病んで、それでも我慢して学校に行く必要ってあるのかな?

 

今作の主人公こころは中学一年生。クラスの中心的人物の美織に目をつけられ度々嫌がらせをされ、学校に行けなくなってしまった。家でテレビを見たり寝たりして一日を過ごす。これからどうなるのだろう?この先どうしたらいいのだろう?と不安がいっぱいだ。学校の先生もいじめっ子の肩を持つ。

 

私は年齢的にも親目線で本作を読んだ。もし自分の子供がいじめに遭い学校に行けなくなったら、どうしたらいいのだろうと。

 

かつて私は小学生の頃クラスで外されたことがあった。期間としては3ヶ月程度だったがそれはもう地獄だった。担任の先生はいじめっ子の肩を持つ。母に思い切って相談するも、いじめられる方にも原因がある。あなたの性格が悪いからじゃない?友達の輪に自分から入っていけばいいじゃない?お母さんに恥をかかせないで。なんて言われて。

 

今思い返すとひどい親だなwと思うけれど、母は学生時代きっといじめる側の人間だったのだろう。だからいじめられる側の気持ちが分からない。そして人の気持ちや痛みが分からない人。誰にも分かってもらえなくて悲しかったけれど、その経験があったからこそ今の自分があるのだと思う。

 

さて、もし自分の子供がいじめに遭って学校に行けなくなったら・・・。私としては神経をすり減らして行く必要はないと伝える。いじめに遭うのはいじめられる側に問題があるなんてことは絶対に無くて、たまたま確率論だ。だから環境が変わるとピタッといじめられることがなくなるなんてことは普通。

 

親として子供にできることは、子供の味方であることと選択肢を提示することだけだと思っている。学校に行かなくてもいいよ、塾に行く選択肢もあるよ、フリースクールに行く選択肢もあるよ、引っ越してもいいよ。時間がかかってもいいから、最終的に決めるのは子供だ。

 

もし今いじめに遭っていたり、学校でうまくいっていない人がいるとしたら、私が伝えたいことはただ“生きて”ということ。何もしなくていいし、考えなくていいし、ただ生きていてほしいということだけ。

 

学校なんてただの通過点で、そこに行ったか行かないかなんて大人になればどうでもいいこと。そこで出会うクラスメイトなんて大人になればもう会うこともないし、思い出すこともない。

 

私の大学の友人で、高校生の頃に教師からひどいいじめを受けて学校に行けなくなった子がいた。真面目で優しくて、彼女のどこにいじめらる要素があるのだろう?と思ったものだ。高校には数日しか行けなかったけれど、大検を取って大学に来たのだと教えてくれた。(今は大検という制度は廃止され、高等学校卒業程度認定試験に移行されているらしい)

 

今作では色々な理由で学校に行っていない中学生が登場する。親の理解が得られる子がいれば、得られない子もいる。親なんて選べないからこれも確率論。理解してくれる親ならばラッキーっていう程度。私は親にも教師にもハズレてしまったけれど、それでも生きているし今は毎日幸せ〜なんて思っている。

 

こころがアキに、生きなきゃダメ!頑張って、大人になって!と言った場面にはグッと来た。(p.493)生きることは大変だけど、必ず何か意味があるのだと思う。ただ伝えたいことは、“生きて”ということだけだ。